知識と雑学の備忘録
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マラソンの最長記録は54年8ヶ月6日5時間32分20秒3
マラソンの最長記録、つまりはワースト記録は、日本の金栗四三が記録した
54年8ヶ月6日5時間32分20秒3である。

金栗四三は1912年に開催されたストックホルムオリンピックのマラソンに
出場したが、32キロ付近で意識不明となり棄権した。
しかし、棄権の意思がオリンピック委員会に伝わらず金栗は記録上、
競技中に失踪し行方不明」となった。

時は流れて、1967年にストックホルム市がオリンピック開催55周年を
記念する式典を開催することになったのだが、当時の記録を調べていた
オリンピック委員会は金栗が「行方不明」のまま、完走も棄権もしていない
ことを発見し、金栗に改めて棄権、もしくは完走するように要請した。

要請を受けた金栗はストックホルムへ赴き、式典の中で当時のコース
(実際には競技場内の100メートルを走っただけで、残りの10キロを走ったこと
にした)を走ってゴールし、ゴールまで半世紀以上という公式記録が残された。

ゴールの瞬間には「日本の金栗がただ今ゴール。タイムは55年。
これで第5回ストックホルム大会の全日程は終わりました」
とアナウンスされ、
金栗四三は「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」と応えた。

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関連雑学:
[046] マラソンの距離はなぜ42.195kmなのか
[038] 世界で始めての始球式、投げたのは誰?

参照:金栗四三展・図録
   :Wikipedia「マラソン」
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マラソンの距離はなぜ42.195kmなのか
マラソンの起源は、アテナイ軍とペルシャ軍が戦ったマラトンの戦いでの
アテナイ軍の勝利を伝えるため、戦場から完全武装のままアテナイまで走り、
城門の前で絶命したエウクレスという兵士である。
この故事を元に、第一回のアテネオリンピックでは、マラトン-アテネ競技場間で
初のマラソン競技が行われた。
だが、この時行われたマラソンの距離はまだ42.195kmではない。

マラソンが42.195kmという距離で初めて行われたのは、第四回のロンドンオリンピックである。
当初、マラソンは国王の住むウィンザー城からシェファードブッシュ競技場までの
26マイル(約40km)で競われる予定だったが、時の王妃アレクサンドラが、
「スタートを城の窓から見たいのでスタート地点は城の庭で、ゴールの瞬間は
競技場のボックス席で見たいので、ゴール地点は競技場のボックス席の前にして」

わがままを言った為、42.195kmという半端な数字になったとか。
そして、第八回のパリオリンピック以降、42.195kmが採用され現在に至る。

ちなみに、実際のマラソンコースは42.195kmよりちょっとだけ長い。
コースの距離が42.195kmより短いと参考記録となってしまうので、
ちょっとだけ長くして、42.195kmより短くなるのを避けるためである。
なお、42.195kmより短くても許される誤差は42.195mである。





話は変わって、みんな知っているグリコのパッケージのマラソンランナー。
この人は、実は日本人ではなくフィリピン人である。
第五回極東競技大会でゴールしたカタロンというフィリピンのマラソン選手の
笑顔がグリコの商品イメージにぴったりだった為、採用されたとのことである。

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関連雑学:
[047] マラソンの最長記録は54年8ヶ月6日5時間32分20秒3
[038] 世界で始めての始球式、投げたのは誰?

参照:
Wikipedia「マラソン」
9月28日、今日はなんの日?エヴァンゲリオン!マラトンの戦い。

リンク:glico「ランナーブログ」

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世界で始めての始球式、投げたのは誰?
「世界初の始球式、投げたのは誰?」


答えは、大隈重信(政治家・早稲田大学の創立者)である。

1908年11月22日、アメリカの選抜チームと早稲田大学の試合において、
大隈重信が行ったのが、記録に残っている最も古い始球式である。

ちなみに、この始球式で大隈が投げたボールは、ストライクゾーンから
大きく逸れてしまったのだが、大隈先生に失礼があってはいけないと
早稲田大学の一番打者は、機転を利かせて空振りした。
これが、現在も始球式のボールを空振りする由来である。


「野球という言葉、考えたのは誰?」


答えは、正岡子規(俳人)である。

ベースボールが大好きだった正岡子規は、1890年(明治23年)
より「野球(のぼーる)」という雅号を用いていた。そして、
その4年後の1894年に、第一高等中学校(現在の東京大学)の
野球部員だった中馬庚(ちゅうまん かなえ)により、
日本で始めて「ベースボール」が「野球」と翻訳された。

「バッター」「ランナー」「フォアボール」「ストレート」
「フライボール」「ショート」を「打者」「走者」「四球」「直球」
「飛球」「遊撃手」と日本語に訳したのも正岡子規である。

なお、正岡子規は野球の普及に対する貢献により、
2002年に野球殿堂入りした。


ちなみに、1回の打席において2個のアウトをとる「ダブルプレー」の
ことを「ゲッツー」ともいうが、これは英語の"get two"からきている。
しかし、和製英語なので、通じるのは日本においてだけである。


参照:Wikipedia「正岡子規」
  :Wikipedia「始球式」
  :はてなダイアリー「ゲッツー」

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