知識と雑学の備忘録
知っているとかっこいいかもしれないが、むしろ気持ちが悪いという可能性も否定はできない知識と雑学とトリビアとうんちくの備忘録
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
ベートーベンは『運命』『エリーゼのために』を知らない?
・交響曲第5番『運命』

今は亡き作曲家ベートーベンは、自分が作曲した交響曲第五番が『運命』
と呼ばれていることを知っているだろうか。本人だから当然「知っている」
と思うだろうが、実は「知らない」のである。

『運命』という呼び名は、ベートーヴェンが「冒頭の4つの音は何を示すのですか」
と問われたのに対して「運命はこのように扉をたたくのだ」と答えたことに
由来しているのだが、この会話は、ベートーベンの没後、弟子のアントン・
シントラーが伝記に書いたことで明らかになった。
つまり、『運命』はベートーベンが付けた曲名ではなく、ベートーベンの
没後に付けられた単なる愛称なのである。

ちなみに、ベートーベンといえば「運命」と連想されるほど、日本では有名な
この愛称は、海外ではほとんど使われていない。


・『エリーゼのために』

では、ベートーベンは、自分が作曲したピアノ曲が『エリーゼのために』
呼ばれていることは知っているだろうか。今度こそ、本人だが付けた曲名
だから「知っている」と思うだろうが、実は「知らない」のである。

というのは『エリーゼのために』は、本当は『テレーゼのために』なのだが、
ベートーベンの没後、研究者達に発見された際、ベートーベンの字があまりにも
汚かった為、「テレーゼ(Thelese)」を「エリーゼ(Elise)」と読み間違えられ、
『エリーゼのために』として発表されたのである。

この間違いは、ベートーベンがこの曲を作ってから100年以上も後に楽譜の
筆跡鑑定をしたことで明らかになった。「エリーゼ」が「テレーゼ」とも
読めることが分かったのである。
では、なぜ「エリーゼ」は読み間違いで、正しくは「テレーゼ」であると
分かったのか。

それは、「テレーゼ」と聞いて、研究者達があることを思い出したからである。
『エリーゼのために』の楽譜が、テレーゼ・フォン・ドロスディック夫人の
手紙箱の中から発見されたことをである。
ちなみに、ベートーベンは、『テレーゼのために』をテレーゼに贈った1ヵ月後に
テレーゼに結婚を申し込み、振られている。

ともかく、100年以上もの間、ベートーベンとテレーゼだけが、
『テレーゼのために』という本当の曲名を知っていたことになるのである。

参照:Wikipedia「エリーゼのために」
  :Wikipedia「運命」
  :音楽史ミステリー探偵事務所「エリーゼのために」のエリーゼとは誰か?

押して欲しいんだなぁ⇒ブログランキング・にほんブログ村へ
スポンサーサイト

テーマ:歴史上の人物 - ジャンル:学問・文化・芸術

チャップリンは五・一五事件で暗殺されていたかもしれない
1932年(昭和7年)5月15日、海軍の青年将校による反乱事件が起こり
「話せば分かる」「問答無用」の有名なやりとりの後、
時の内閣総理大臣、犬養毅が暗殺された。五・一五事件である。

そして、逮捕した青年将校の供述から、驚くべき事実が判明した。
五・一五事件の前日に初来日していた喜劇王チャップリンも、
暗殺の対象となっていたのである。

五・一五事件が起きた当日、チャップリンは犬養毅と親善目的で
会見する予定だったのだが、当時の運転手、高野虎市の機転により、
直前に会見の予定をキャンセルした。
チャップリンはその替わりに相撲を観戦したため、暗殺されずに
済んだのである。犬養首相が撃たれたという知らせを聞いたのは
国技館からの帰り道である。

もし、チャップリンと犬養毅の会見が予定通り行われていたなら、
チャップリンは五・一五事件で殺されていたかもしれないのである。

なお、チャップリンは、運転手に高野虎市(後にマネージャー)を
採用していただけでなく、一時期は使用人全員が日本人で占められて
いた程の親日家で、彼の有名なステッキも日本産である。

そして、これに懲りずに1936年(昭和11年)3月に二度目の来日を
果たしている。今度は暗殺の対象になるようなことはなかったが、
直前にある事件が起こり、日本は混乱の真っ只中であった。
青年将校による反乱事件、二・二六事件である。

チャールズ・チャップリン

ちなみに、チャップリンはアメリカで開催された
『チャップリンそっくりさんコンテスト』に本人であることを
隠して出場したことがある。

結果は・・・・・・・・惜しくも優勝を逃し、三位だった。

フェ○チオを世に広めたのもチャップリン⇒ブログランキング・にほんブログ村へ

関連雑学:
[033] 謎の映画監督 アラン・スミシーの正体
[012] クレショフ効果

参照:
Wikipedia「チャールズ・チャップリン」
4度の来日と天ぷら

画像:
ウィキメディア・コモンズ

テーマ:歴史上の人物 - ジャンル:学問・文化・芸術

芥川龍之介と直木三十五の名前(ペンネーム)の由来
日本の二大文学賞である直木賞芥川賞は、両方とも、二人の友人で
あった文藝春秋社の菊池寛がそれぞれ芥川龍之介と直木三十五を
記念して1935年(昭和10年)に創設した賞で、芥川賞は純文学の新人、
直木賞は大衆文学の新人に与えられる。ちなみに、菊池寛は、
日本麻雀連盟初代総裁を務めた程の麻雀好きとしても知られている。

それでは、この二つの賞に名前を冠されている
直木三十五と芥川龍之介の名前の由来について。

『芥川龍之介』は本名である。

「龍之介」の名前は、辰年辰月辰日辰の刻に生まれたことに
由来すると言われているのだが、芥川の誕生日の1892年(明治25年)
3月1日は、干支暦では壬辰年壬寅月壬辰日である。

『直木三十五』はペンネームで、本名は植村宗一である。

ペンネームの「直木」は「植村」の「植」の字を分解してひっくり
返したもの。「三十五」については、31歳になった時に、年齢に合わせて
「直木三十一」というペンネームを名乗ったのをきっかけに、
以降、「三十ニ」「三十三」と名前を変えていき、35歳になった時
「直木三十五」とした。なお、34歳の時は、縁起が悪いという理由で
「三十四」が飛ばされた為、「直木三十三」は二年間使用された。

そして、「直木三十五」にしてからは、43歳で没するまで、ずっと
このペンネームを使い続けたのだが、「直木三十六」にしなかったのは、
「三十六計逃げるに如かず」と茶化されるのが嫌だったそうである。


最後に『吉村昭』という文学者の芥川賞にまつわる悲劇を。

・彼は、芥川賞に4度もノミネートされたのに、1度も受賞できなかった。
・しかも、そのうち一度は、誤報により受賞した気で会場に行ってしまった。
・そして、ようやく芥川賞を受賞した・・・・・・・・・・・・。妻が。

関連雑学:
[009] ピカソの長すぎる本名
[043] 以外とおもしろい会社名の由来2
[043] 以外とおもしろい会社名の由来2
[049] 人の名前が由来になっているもの(サンドウィッチ伯爵・コンドーム伯爵他)

参照:
Wikipedia『芥川龍之介』
Wikipedia『直木三十五』
Wikipedia『吉村昭』

正しくはトリビア⇒ブログランキング・にほんブログ村へ

テーマ:雑学・情報 - ジャンル:学問・文化・芸術

実はそんなこと言っていない偉人達の名言集
・ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ

ゲーテの最期の言葉「もっと光を」は有名であるが、
実際には、単に窓を開けて部屋を明るくしてくれと言った
とする説が有力である。

・チャールズ・リンドバーグ

1927年に、世界初の大西洋単独無着陸飛行に初めて成功し、
パリ上空で「翼よ、あれがパリの灯だ」と言ったとされているが、
この言葉は、後世の脚色であり、リンドバーグはその時、
パリ上空にいることすら知らなかった。しかも、
パリ着陸後の第一声は「トイレはどこですか?」だったらしい。

・マリー・アントワネット

フランス国王ルイ16世の王妃、マリー・アントワネットは、
民衆が今日食べるパンもなく、餓えで苦しんでいると聞いた時に、
「パンがないならお菓子(ケーキ)を食べればいいじゃないの」
と言ったとされているが、実はそんなことは言っていない。
上記の発言は、本当は、他の貴族が後世に言った言葉である。

・ナポレオン・ボナパルト

「我輩の辞書に不可能の文字は無い 」という言葉は、有名だが、
実際には「不可能という言葉はフランス語には無い」もしくは、
「不可能というのはフランス的ではない 」と言ったらしい。

・エイブラハム・リンカーン

ゲティスバーグ演説で言った「人民の人民による人民のための政治」という
言葉は有名だが、リンカーンのオリジナルではない。
旧約聖書にジョン・ウィクリフが序文として書き込んだ文章の引用である。

・福沢諭吉

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」は、
福沢の著書『学問のすゝめ』にある一節だが、
オリジナルではなく、アメリカ合衆国の独立宣言からの引用である。

また、この文には続きがあり、全文の大意は、次のようなものである。
「人は平等なはずなのに、世の中には貧富の差がある。
何の違いによるのだろう。それは、学問をしているか
していないかの差である。よって、学問をしなさい。」

・板垣退助

板垣退助が遊説中に刺された時に「板垣死すとも自由は死せず」
言ったとされているが、実際に言った言葉は、
「痛くてたまらねえ、医者を呼んでくれ」だったといわれている。

参照:Wikipedia「チャールズ・リンドバーグ」
  :Wikipedia「マリー・アントワネット」
  :Wikiquote「ナポレオン・ボナパルト」
  :Wikipedia「エイブラハム・リンカーン」
  :Wikipedia「板垣退助」
  :Wikipedia「学問のすゝめ」

雑学⇒ブログランキング・にほんブログ村へ

テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。